11月22日(木)19:00~ トッパンホールにて。
Le Projet Aimard 二日目。
出演:Pierre-Laurent Aimard
フランス語通訳:藤本優子
エマールの知性に圧倒された第二夜。
ドビュッシーの、暗示や引用の仕方、アイヴスとの関連性など、密な内容に、とにかく圧倒されました!
このようなエマール本人による、曲の解説、紐解きなどをこのプロジェクトの一環としてやってくれるのは、本当に嬉しい事だと今回も改めて思いました。それと同時に、このレクチャーは、ドビュッシーの前奏曲全24曲、全てを弾ける方か、または楽譜の音全てを把握できている方じゃないと、全部は理解出来ないのじゃないかなと思ったりもしました。私には受け止めきれない豊富な内容に圧倒されたものです。
しかし、私のような素人も、ドビュッシーの音楽をより楽しむために、その助けとなるエマールの言葉がとてもありがたく、なるほどと思ったり、嬉しい発見や驚きに満ちた時間となりました。
去年のワークショップで知り合った、東京在住のE子さんと、今年もこのレクチャーでお会いすることが出来ました。彼女もピアノを習っていて私よりもずっと上級者でいらっしゃいますが、エマールが好きという共通点でもお話がはずみ、私も色々と勉強になりました。今年は左側のB列にて。彼女は前奏曲の楽譜も持参されていました。
私は小さなノートに、エマールの話す言葉を走り書きで色々と書きましたが、どう整理してよいやら。。去年とは違う同時通訳の方でしたが、今回の方も非常にテンポよくエマールの言葉を伝えてくれました。まとまりの悪い自分のノートを見ながら思い出すものを、箇条書きに。(自分で書いていながら判読できないものも...)
ドビュッシーの前奏曲集は、独立して演奏されるにふさわしい完成度の高い作品である。
ドビュッシーは新しい音楽言語をきずいた。
詩や文学からもインスピレーションを得た。
絵画からも、自然からも作品のヒントを得た。
ドビュッシーはとても自然を愛していた。
産業革命が芸術にも影響を与えた。(そのような時代だった)
同時代のラヴェルは、最先端のメカニックの機械を好んだ。
「霧」
メロディーと和声の境をなくしていきたいドビュッシーの狙いがある。ペトルーシュカの引用があり、その和音がある。左手でペトルーシュカのテーマを弾き、右手でそれにベールをかけている。霧が最後に搔き消え、ペトルーシュカのテーマが表れる。
「枯葉」
解決しない和声を宙づりのまま、持っていく。宙づりで聴かせる色を帯びた和声は、そのままで美しい。絶望的でもある。
「帆」
対位法的な使い方。宙づりになる帆。などなど。。。
「交代する3度」
当時のストラヴィンスキーが作曲した、「春の祭典」の一部が含まれる。
またストラヴィンスキーとドビュッシーは、「春の祭典」ピアノ版を連弾した事があるそう。
「花火」
ドビュッシーは、最終曲「花火」に至るまで、響きの実験を行っている。パリの7月14日の革命記念日の花火大会での雰囲気を表している。狭い空間からさまざまな音域で空間を表している。また、「花火」は次にどういうものが出てくるのか分からない楽しさがある。そして最後にフランス国歌を登場させている。狭い空間からさまざまな音域で、空間を表している。横の広がりだけでなく深みも。
ボードレールの詩の形式の技術を音楽に使った。
韻を踏む。
音と香りが漂う描写。
ロマン派までの音楽のような、定番の流れを無くし、全く新しい音楽様式を作っている。
しかし、24曲の並べ方は、どこにどういう曲が来るべきか、きちんと考えられていて、あるべき所にあるべき曲がきている。全てが壮大なプロジェクトである。
前奏曲24曲は、ドビュッシー自身のセルフ・ポートレイトであるといえる。
暗示的な問いかけが多い、とらえどころがなく、ヴェールをかけている。
ゲーム感覚、ユーモラス、複雑で、素をさらけ出さないところ → ドビュッシーの性格を示す。
鍵、神秘、ミステリーがある。
それから、次の日のリサイタル、ドビュッシーとアイブスの共通点を示されました。
まず、次に何が出てくるのか分からない面白さという点で、共通点であること。そして、二人とも他の曲を引用するテクニックに長けていて、数多く色々な引用が見られること。引用の仕方は、アイヴスの方が分かりやすく、ドビュッシーはヴェールにかけて、オブラートに包まれている事が多いこと。なるほど、そういった共通項から、この二人の作品をリサイタルの二日目にプログラムするとは、さすがエマール!
そのドビュッシーが引用した数多くの作品がCDブックレットにも書かれてありますが、その引用した原曲や題材を私は知らないものが多く、きちんと把握することができません。しかし、ドビュッシーの音楽の面白さ、神秘、複雑さなど、エマールのレクチャーで沢山知ることが出来ました。
先日のリサイタルの記事にも書きましたが、私がいかにドビュッシーの音楽を漠然としか聴いていなかったか、その面白さに気づいていなかったかというのがよく分かりました。溢れ出るエマールの知性に圧倒されながら、本当に充実した内容の濃い時間が過ぎていきました☆。。