受難週を迎えて ~ 追憶の日 |
5ヶ月前に命にかかわる病気が発覚し、過ぎてしまえばあっという間の闘病生活でした。享年74歳。
父は自分の病気(末期の癌)の事を医師からも告げられており、入院する前に、自分の葬儀に歌ってもらいたい讃美歌や、式次第に載せる自分の略歴などを、教会の牧師先生に伝えておりました。
10日前に教会にて、多くの方々に見送られ、告別式が執り行われ、父を天に送りました。
半年ほど前までは、元気に普通に生活しておりましたので、最初に病名や余命宣告を受けた時には、家族みな信じられない思いや、受け入れられない気持ちが大きく、「そんなはずはない、きっと治る」と思って、父を励まし、祈りの毎日を過ごしておりましたが、2ヶ月ほど前からは、父も私たち家族も、少しずつその時を覚悟するようになっていきました。特に毎日付き添っていた母は、よく頑張ってくれたと思います。父も時々苦しみながらも、最後の息を引き取る瞬間まで穏やかでいられた事は幸いでした。
家族みな父が大好きでしたし、子供の頃から今に至るまで、父との思い出がたくさんありました。だからその分、辛さや悲しみも大きく、父が身近にいなくなった寂しさはしばらくは拭いきれないでしょう。この事は、私の人生にとっても最大の試練であり、こんなに悲しい事を経験したのは初めての事でした。
ですが、この事を通し、私も大切な事を色々と教えられたように思います。同じように病気で苦しんでいる人やその家族の方々の気持ちが分かってきたり、親の大切さ、父の存在の大きさを思い知らされました。そして、ここ5ヶ月間の間に、それまでには伝えられなかった父への感謝の気持ちを伝えたり、父とたくさん話をする時間を与えられた事は良かったと思います。
今日から受難週に入りました。教会での牧師先生のメッセージや、讃美歌を聴きながら、涙が止まりませんでしたが、明るく前向きな父にならって、私もこれからしっかりと生きていきたいと思いました。
父の病気が分かってから、イエス様の受難の事に思いを馳せることが多くなっておりました。来週の日曜日は復活祭。希望を持って、イースターを迎えたいと思います。
『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。......
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。......
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。』.....
・・・・・伝道者の書 3章より・・・・・
天国のお父さんへ。
お父さん、本当にありがとう。お父さんの子供に生まれて、私は幸せです。主のみもとで安らいでください。